「江戸川区はゼロメートル地帯だから土地が安い」。区内で住まいを探している方からも、区内に土地を持つ方からも、この言葉をよく耳にします。荒川と江戸川に挟まれ、海抜が満潮時の海面より低い土地が広がる以上、それが価格を押し下げているのは当然だ、という感覚です。
けれども、その感覚をデータで確かめた話はあまり聞きません。2026年(令和8年)地価公示で江戸川区内にある住宅地の標準地69地点すべてについて、国土地理院の標高データを当てはめて並べ直すと、結果は逆でした。標高が0メートルを下回る地点の平均価格は、標高1メートル以上の地点より約15%高かったのです。
結論を先に申し上げます。江戸川区の土地が23区の中で相対的に安い主な理由は、ゼロメートル地帯という地形ではなく、都心からの距離と駅からの距離です。地形の影響はゼロではありませんが、その大きさは多くの方が想像するよりずっと小さい。本記事では、私たち鑑定士が地価公示のデータを標高・都心距離・駅距離で分解した結果をお示しし、区内で土地を買う・持つ・分けるときに地形要因をどう見ればよいかを整理します。
ゼロメートル地帯とは何か、江戸川区のどこが該当するのか
満潮時の海面より低い土地のこと
ゼロメートル地帯とは、地表の高さが満潮時の海面より低い土地を指します。堤防と水門、排水機場(雨水を川へくみ出すポンプ施設)が24時間機能することで、日常の暮らしが成り立っている地域です。
江戸川区は自らのホームページで、「区面積の7割が満潮位以下のゼロメートル地帯と呼ばれる低地」であり、その背景には「かつての地下水汲み上げによる地盤沈下の影響」もあると説明しています(江戸川区「江戸川区の地形」)。
区内でも西側ほど低く、東側と臨海部は高い
「江戸川区のゼロメートル地帯はどこか」という問いには、標高を並べると答えが見えてきます。国土地理院の標高API(基盤地図情報の数値標高モデルを返す公開サービス)で標準地の標高を取得すると、区内の住宅地は次のように分布していました。
- 最も低いのは平井2丁目のマイナス2.2メートル、平井6丁目のマイナス2.1メートル。荒川と旧中川に挟まれた区の西端です
- 船堀・松江・松島といった中央西部もマイナス1.5メートル前後
- 篠崎・小岩の江戸川沿いはプラス1〜2メートル。川が運んだ土砂でできた自然堤防(川沿いにできる微高地)の性格があります
- 最も高いのは清新町2丁目のプラス3.9メートル。昭和期に造成された埋立地です
同じ区内でも、西端と臨海部の埋立地とでは6メートル近い高低差があります。
地盤沈下がつくった地形
西側が低いのは、戦前から高度成長期にかけての工業用の地下水くみ上げで、地盤が大きく沈んだためです。東京都区部で最も沈下が大きかった江東区南砂2丁目では、観測開始の大正7年から平成24年末までに累計約4.5メートルの沈下が記録されています(江東区「地盤沈下」)。揚水規制によって沈下はその後沈静化しましたが、下がった地盤は戻りません。荒川寄りの区の西側が低いのは、この歴史の名残です。
江戸川区のゼロメートル地帯は本当に安いのか:69地点を標高で並べる
標高帯別の平均価格
2026年地価公示の江戸川区の住宅地69地点を、標高で3つに分けて集計しました(国土交通省「国土数値情報 地価公示データ」、国土地理院の標高を当事務所で付与)。平均価格は1平方メートルあたり、駅距離は最寄駅までの距離の平均です。
| 標高 | 地点数 | 平均価格 | 駅距離 |
|---|---|---|---|
| 0m未満 | 31 | 464,700円 | 940m |
| 0〜1m | 18 | 441,600円 | 1,104m |
| 1m以上 | 20 | 404,200円 | 1,094m |
標高が低いほど平均価格が高い、という結果です。「ゼロメートル地帯だから安い」という理屈がそのまま当てはまるなら、この順番は逆になっているはずです。
逆転の正体は「都心までの距離」
なぜこうなるのか。答えは地図にあります。標高の低い地点は荒川寄りの区の西側、つまり都心に近い側に集まっています。各標準地から東京駅までの直線距離を測ると、平均は0メートル未満の帯で9.1キロ、0〜1メートル未満で10.8キロ、1メートル以上で11.9キロでした。
具体例で見ます。船堀2丁目(標高マイナス1.5メートル、船堀駅から450メートル)は546,000円、篠崎町2丁目(標高プラス1.2メートル、篠崎駅から470メートル)は471,000円です。駅からの距離はほぼ同じで、標高は篠崎のほうが2.7メートル高い。それでも船堀のほうが約16%高いのは、東京駅までの距離が8.4キロと13.1キロで、5キロ近く違うからです。
立地をそろえると、標高1メートルで約3.6%
では、地形は価格にまったく効いていないのか。駅からの距離と東京駅からの距離をそろえたうえで標高の影響だけを取り出すため、69地点で重回帰分析(複数の要因が価格に与える影響を同時に推計する統計手法)を行いました。
結果は、立地条件が同じなら標高が1メートル高いごとに価格は約3.6%高い、というものでした。統計的には有意と言える水準にぎりぎり届く程度の、控えめな影響です。一方、駅から1キロ遠ざかると約27%、東京駅から1キロ遠ざかると約6%下がるという推計で、立地の効き方のほうが桁違いに大きいことが分かります。
同じ西葛西駅圏で、駅からの距離がともに1,200メートルの2地点を比べると、清新町2丁目(プラス3.9メートル)が502,000円、西葛西1丁目(マイナス1.9メートル)が425,000円でした。ただし清新町は計画的に整備された街区で、街並みの差も含まれます。
なお、この分析は公表データを用いた簡易な推計で、地点数も限られます。個別の土地の価格を示すものではない点にご留意ください。
隣接区と比べると「江戸川区が安い理由」が見えてくる
同じ低地の江東区は1.5倍
区の外にも目を向けます。同じく広いゼロメートル地帯を抱える江東区と、台地の上にある練馬区などを並べました(2026年地価公示、住宅地の標準地の単純平均。10年倍率は2016年と2026年の両方に価格がある地点の平均。いずれも当事務所集計)。
| 区 | 地形 | 平均価格 | 10年倍率 |
|---|---|---|---|
| 江東区 | 低地 | 661,500円 | 1.63倍 |
| 練馬区 | 台地 | 480,500円 | 1.34倍 |
| 江戸川区 | 低地 | 441,100円 | 1.40倍 |
| 足立区 | 低地 | 410,800円 | 1.45倍 |
| 葛飾区 | 低地 | 387,500円 | 1.32倍 |
江東区は江戸川区と同じ低地でありながら、平均価格は1.5倍、この10年の上昇倍率も5区で最も高くなっています。台地にある練馬区は、江戸川区とほとんど変わりません。
安さを決めているのは地形ではなく、都心アクセスと駅の密度
江東区と江戸川区を分けているのは、都心までの距離と、区内に張り巡らされた鉄道網の密度です。江戸川区は東西線・都営新宿線・JR総武線・JR京葉線・京成線が通るものの、駅から1キロ以上離れた住宅地の比重が大きく、バス便の地域も広い。駅距離による価格差が大きいことは、2026年地価公示、江戸川区の住宅地は5.7%上昇|西葛西・葛西・小岩の駅別温度差を読むでも確認したとおりです。
「江戸川区の土地が安い理由」を一つ挙げるなら、私たち鑑定士は地形より先に交通条件を挙げます。
荒川・江戸川の氾濫リスクは価格にどう入っているか
大規模水害は区内共通の条件
荒川や江戸川が氾濫した場合、区のほぼ全域が浸水する想定です。区内のどこを買っても条件がほぼ同じであるため、区内の物件どうしを比べるときには差として表に出にくいという構造があります。水害ハザードマップと地価の関係、公表されている計量分析の数字は、浸水想定10メートルでも地価は上がる|江戸川区のハザードマップと土地の価値で詳しく扱っています。
堤防と「高台まちづくり」
一方で、地形そのものを変える取り組みも進んでいます。江戸川沿いの北小岩一丁目東部地区では、国土交通省と江戸川区の共同事業として、土地区画整理事業と一体で高規格堤防(幅が広く、上に街をつくれる堤防)が整備され、2017年3月に完成しました。盛土の高さは約7メートルです(国土交通省関東地方整備局江戸川河川事務所)。
区はこうした「高台まちづくり」を進めていますが、整備が周辺の地価をどれだけ押し上げたかを示す十分なデータは、まだそろっていません。
液状化は地点ごとに違う
地形由来のリスクには、水害のほかに液状化(地震の揺れで地盤が液体のようになる現象)があります。東日本大震災では、江戸川区を含む都内5区で建物が傾くなどの被害が生じました。東京都は2026年3月に「東京の液状化予測図」令和7年度改訂版を公開しており、地点ごとの液状化の可能性を相対的に確認できます。液状化の可能性は埋立地か自然堤防かといった地盤の成り立ちで変わり、標高の高低とは一致しません。
鑑定評価では地形要因をどう扱うか
評価基準は「地勢・地盤」と「災害の危険性」を明記している
不動産鑑定評価基準(国土交通省。鑑定評価の統一的なものさし)は、住宅地域の価格に影響する地域要因として「地勢、地質、地盤等」と「洪水、地すべり等の災害の発生の危険性」を挙げています。個々の土地についても、個別的要因として「地勢、地質、地盤等」を検討します。
私たち鑑定士は、区内の土地を評価する際、標高や地盤の違いを無視しません。同時に、同じ低地にある取引事例と比べるかぎり、その影響の多くは比較の過程で相殺されることも理解しています。上の分析で「標高1メートルで約3.6%」という控えめな数字が出たのは、この実務感覚とも整合します。
想定されるケース:船堀と篠崎、どちらが割安か
以下は特定の案件ではなく、公表データをもとにした想定のケースです。
区内で100平方メートルの土地の購入を検討している方が、船堀2丁目と篠崎町2丁目の標準地と同条件の土地を比べるとします。標準地の価格をそのまま当てはめると、船堀は5,460万円、篠崎は4,710万円で、差は750万円です。
この差を上の推計で分解すると、東京駅までの距離の差(約4.7キロ)で船堀が約25%高くなる一方、標高の差(2.7メートル)では篠崎が約10%高くなり、差し引きで船堀が2割程度高いという計算になります。実際の差は約16%で、推計はおおむね実態をなぞっています。
ここから読み取れるのは、篠崎の土地が「地形で得をしている分」は、都心距離で失っている分に打ち消されているということです。どちらが割安かは、通勤先や家族構成、その土地の地盤や内水(大雨時に下水があふれる浸水)の実績によって変わります。購入前には、地理院地図で周囲との高低差を確かめ、区の内水の浸水実績を確認し、建物の基礎や盛土の状況を見ることをおすすめします。
相続・売却で「ゼロメートルだから安い」と言われたら
遺産分割や親族間の売買で、「ゼロメートル地帯だから大幅に安く見るべきだ」という主張が出ることがあります。本記事のデータが示すとおり、区内の価格差を地形だけで説明するのは無理があります。数字で反論する必要がある場面では、根拠を書面にする方法があります。
当事者間の話し合い用であれば価格等調査報告書、調停や訴訟、税務署への提出を見込むなら鑑定評価書が適しています。使い分けは価格等調査報告書と鑑定評価書の違いは提出先で決まるで解説しています。なお、相続税の評価や税額への影響については税理士にご確認ください。
まとめ
江戸川区のゼロメートル地帯は、地形としては確かに低く、水害への備えが欠かせない地域です。しかし価格の面では、「低いから安い」という単純な関係は成り立っていません。
要点を振り返ります。
- 江戸川区は区面積の7割がゼロメートル地帯。住宅地の標準地の標高はマイナス2.2メートル(平井)からプラス3.9メートル(清新町)まで幅がある
- 2026年地価公示の住宅地69地点では、標高0メートル未満の帯の平均価格が464,700円で、1メートル以上の帯の404,200円より約15%高かった
- 逆転の理由は、低い地点ほど都心に近い区の西側に集まっていること。立地をそろえると、標高1メートルあたりの影響は約3.6%にとどまる
- 同じ低地の江東区は平均価格が江戸川区の1.5倍。江戸川区の相対的な安さを決めているのは地形より交通条件
- 液状化や内水は地点ごとに差があり、標高とは一致しない。購入・評価の際は個別に確認が必要
江戸川区で土地やマンションの購入を検討している方、相続した土地を「ゼロメートル地帯だから」と安く見積もられて戸惑っている方、区内の不動産を扱う税理士・弁護士・不動産会社の皆様。地形の話を感覚ではなく数字で扱えるかどうかで、判断の確かさは大きく変わります。
江戸川区・城東エリアの不動産の評価でお悩みの方は、西葛西の鑑定士による初回無料相談をご利用ください。対象の土地の標高・地盤・立地が価格にどう効いているのかを、データに基づいてご説明します。


