KRE·Appraisal
エリア・市場データ

浸水想定10メートルでも地価は上がる|江戸川区のハザードマップと土地の価値

Appraisal Journal

江戸川区は区面積の7割がゼロメートル地帯で、大規模水害では最大10メートル以上の浸水が想定されています。それでも2026年地価公示の住宅地は5.7%上昇。ハザードマップの色が土地の価値をどれだけ下げるのかを、公表された推計値と区内の地価データから西葛西の不動産鑑定士が検証します。

エリア・市場データ公開: 28分で読了著: 吉田 健人

「うちはハザードマップで真っ赤な場所なので、土地の価値なんて無いに等しいのでしょう」。江戸川区で相続した実家をどう分けるかというご相談の場で、こう切り出される方が少なくありません。区が配布する水害ハザードマップを広げると、自宅のある場所が濃い色で塗られている。それを見て、資産としての評価を最初から諦めてしまう方がいらっしゃいます。

逆のご相談もあります。「ハザードマップの色が濃いのだから、その分だけ土地の値段を下げて分けるべきだ」と遺産分割の席で一方の相続人が主張し、話が止まってしまう。どちらの言い分にも根拠がありそうで、けれども具体的に何%下がるのかという段になると、誰も数字を出せない。そこで議論が空転します。

結論から申し上げます。江戸川区において、水害リスクが土地の価値をゼロに近づけることはありません。一方で、まったく無関係でもありません。本記事では、区が公表しているハザードの想定、実際の地価の動き、そして水害リスクが地価に及ぼす影響を計測した公的な研究を並べたうえで、私たち鑑定士が評価の現場でこの論点をどう扱っているかをお伝えします。

江戸川区の水害リスクは、数字で見るとどれほどか

区面積の7割がゼロメートル地帯

まず、前提となる事実を正確に押さえます。江戸川区は自らのホームページで、「区面積の7割が満潮位以下のゼロメートル地帯と呼ばれる低地」であると説明しています(江戸川区「江戸川区の地形」)。ゼロメートル地帯とは、標高が満潮時の海面より低い土地のことです。堤防と排水機場によって日常の生活が成り立っている地域であり、区の東を江戸川、西を荒川と中川、南を東京湾に囲まれた地形が、その条件をつくっています。

これは西葛西や葛西といった南部だけの話ではありません。小岩のような北部の旧市街も、船堀や一之江といった中央部も、程度の差はあれ同じ低地の上にあります。区内で「ハザードマップの色が付いていない土地」を探すほうが難しい、というのが実情です。

想定は最大10メートル以上、浸水は2週間以上

江戸川区は2025年7月に水害ハザードマップ第2版を公表しました。対象は高潮、荒川・江戸川・利根川・中川の洪水、そして内水氾濫(大雨が下水道や排水施設の能力を超えてあふれる現象)です。

区の概要版によれば、荒川などの大河川が氾濫する大規模水害では、江東5区の人口の9割以上にあたる250万人が浸水し、最大で10メートル以上の深い浸水が想定されています。しかも浸水は1〜2週間以上続きます。区が「ここにいてはダメです」という表現で区外への広域避難を呼びかけているのは、この想定があるからです。

「命のリスク」と「資産のリスク」は別物

ここで切り分けが必要です。上記の想定は人命と生活の継続に関わるリスクを示したものであって、土地の交換価値がいくら下がるかを示したものではありません。避難計画の観点では最大想定に備えるのが正しい。一方、価格の観点で見るべきは、売主と買主がそのリスクをどこまで織り込んで取引しているかです。想定の深さがそのまま減価率になるわけではありません。

それでも江戸川区の地価は上がっている

2026年地価公示で住宅地は5.7%上昇

では、市場は実際にどう動いているか。

2026年(令和8年)地価公示において、江戸川区の対前年平均変動率は住宅地5.7%、商業地8.7%、全用途6.3%でした(東京都財務局「令和8年地価公示価格(東京都分)の概要」)。区内の継続地点はすべて上昇しており、下落した標準地はありません。前年の2025年(令和7年)も住宅地5.1%、商業地8.1%の上昇でした。上記のハザード想定を抱えたまま、区の地価は上がり続けています。

もっとも、23区の中で見れば江戸川区の住宅地5.7%は区部全域の9.0%を下回り、下から2番目です。この差をもって「水害リスクが織り込まれている証拠だ」と読みたくなるところですが、それは早計です。詳しくは2026年地価公示、江戸川区の住宅地は5.7%上昇|西葛西・葛西・小岩の駅別温度差を読むで整理していますが、区内67地点の住宅地を分析すると、変動率を最も強く説明していたのは浸水の深さではなく、駅からの距離でした。

区内の差を説明していたのは「駅からの距離」

同記事で集計した結果を要約すると、最寄駅まで600メートル未満の地点は平均6.60%、600メートル以上1,000メートル未満は6.24%、1,000メートル以上は4.98%。単価の中央値でも、駅近層は521,000円/平方メートル、1,000メートル以上の層は388,000円/平方メートルと3割以上開いていました。

一方、区内のどこを取っても浸水想定区域には入ります。水害リスクは区内でほぼ共通の条件であり、区内の物件どうしを比べるかぎり、差を生む要因として表に出てきません。買主が江戸川区の物件を複数比較して迷うとき、判断を分けているのは駅からの距離や間口・接道であって、ハザードマップの色ではないのです。

上昇率の低さは水害リスクだけでは説明できない

23区で下位という事実も、水害だけに帰することはできません。江戸川区の住宅地の平均価格は441,100円/平方メートルで、区部全域の856,400円/平方メートルのおよそ半分です。価格水準が相対的に低い地域は投資的な資金の流入が穏やかで、実際にそこに住む人の購買力が価格を支えます。加えて、駅から離れた住宅地の比重が大きいという構造もあります。区部下位という結果を水害リスク一つで説明するのは乱暴です。

水害リスクは地価をいくら下げるのか

日銀ワーキングペーパーの推計は「浸水深1メートルにつき住宅地▲1.1%」

感覚論を離れて、計測された数字を見ます。

日本銀行金融機構局の小出桂靖・西崎健司・須藤直の3氏は、2022年4月公表のワーキングペーパー「水害リスクが地価に及ぼす影響」(No.22-J-10)で、2001年から2020年までの約3,500地点を対象に、ハザードマップの想定浸水深と公示地価の関係を統計的に推計しました。同シリーズは研究成果をまとめたもので、日本銀行の公式見解ではないと明記されていますが、公表された数少ない定量的な推計として参照する価値があります。

その結果、洪水リスクは住宅地・商業地の双方で有意に地価を押し下げており、定量的には想定浸水深1メートルにつき、住宅地で▲1.1%、商業地で▲4.7%でした。

区分浸水深1メートルあたりの影響
住宅地▲1.1%
商業地▲4.7%

(日本銀行ワーキングペーパーシリーズ No.22-J-10、2022年4月による)

住宅地で1メートルあたり1.1%。仮に想定浸水深が3メートルの土地と、まったく浸水想定のない土地を比べても、理論上の差は3.3%程度にとどまります。「真っ赤だから価値がない」という直感と、計測された数字との間には、これだけの開きがあります。

住宅地の反応は鈍く、商業地の反応は鋭い

同ペーパーはもう一つ重要な指摘をしています。ハザードマップが更新されて想定浸水深が新たに1メートル引き上げられた場合、商業地では6年後までに累積で▲2.6%地価が下がる一方、住宅地では1年後から6年後までのいずれの時点でも統計的に有意な影響が確認できなかった、というのです。

なぜ住宅地は反応しないのか。同ペーパーは海外の先行研究を引きながら、事業用の買い手のほうが取引経験が豊かでリスク情報にアクセスする経営資源を持つため、リスクをより大きく価格に織り込むという解釈を示しています。個人の住宅購入者は通勤時間や学区、予算といった条件を優先し、ハザード情報は後回しになりやすいということです。

効いているのは「過去に経験したかどうか」

さらに同ペーパーは、過去10年間に大規模な水害を経験した回数が多い地域ほど、ハザードマップ上のリスクが地価に反映されやすいことを示しています。逆に、経験回数の影響を取り除くと、客観的な水害リスクだけを表す係数は住宅地では統計的に有意でなくなりました。

つまり、市場が反応しているのは地図の色そのものではなく、「実際にここで水が出た」という記憶です。江戸川区がほぼ全域にわたって浸水したのは1947年のカスリーン台風で、利根川の堤防決壊による氾濫流が区内の新川堤防で止まりました。2年後にはキティ台風の高潮被害も受けています。いずれも70年以上前の出来事であり、いまの取引主体の大半にとって、それは記憶ではなく歴史です。江戸川区の地価に水害リスクが強く現れない背景には、この時間の長さがあると私たちは見ています。

鑑定評価と価格に、水害リスクはどう入ってくるか

鑑定評価基準は「災害の発生の危険性」を要因に挙げている

制度上、水害リスクは無視されているわけではありません。不動産鑑定評価基準(国土交通省。鑑定評価の統一的なものさしを定めた基準)は、住宅地域の地域要因の一つとして「洪水、地すべり等の災害の発生の危険性」を明記しています。私たち鑑定士は、対象不動産の地域分析を行う際、この項目を必ず検討します。

ただし、地域要因は「その地域が近隣の他の地域と比べてどうか」を見る枠組みです。江戸川区の住宅地を、同じく低地である葛飾区や江東区の取引事例と比較するかぎり、水害リスクは両者に共通し、比較の過程で相殺されます。減価として表に出てくるのは、台地上の地域の事例を採用して地域格差を査定するような場合に限られます。

区内で差がつくのは「内水」と「地盤高」

では区内の個別評価では一切効かないのか。そうではありません。

一つは内水氾濫です。大規模水害の想定は区内一律に近い一方、内水の浸水想定は、周囲より低い窪地、排水施設からの距離、道路の勾配といった局地的な条件で細かく分かれます。近年の集中豪雨で道路が冠水した実績がある一角と、そうでない一角とでは、地元の買主の評価は分かれます。

もう一つは同じ地域内の地盤高の差です。旧河道を埋めた区画とそうでない区画とでは、数十センチから1メートル程度の高低差が生じていることがあります。この差は現地を歩き、地形図と照らして初めて見えるもので、路線価図や机上のデータには出てきません。個別的要因として査定するのは、まさにこうした差です。

説明義務と保険料が、リスクを価格に翻訳し始めている

なお、市場の側でも変化が起きています。

第一に、2020年8月28日施行の宅地建物取引業法施行規則の改正により、宅地建物取引業者は重要事項説明において、水防法に基づく水害ハザードマップ上で対象物件がどこに位置するかを提示・説明することが義務づけられました(宅地建物取引業法施行規則第16条の4の3第3号の2)。買主が契約前に必ずハザード情報に接する仕組みができたことになります。

第二に、火災保険です。損害保険料率算出機構が2023年6月に届け出た参考純率の改定を受け、2024年10月1日以降始期の契約から、水災の保険料が市区町村ごとのリスクに応じて5区分に細分化されました。この改定を含む参考純率は全国平均で13.0%の引き上げです。保有コストの差は、収益物件なら還元利回りを通じて、自宅なら買主の資金計画を通じて価格に影響します。

水害リスクが価格に翻訳される回路は、この5年で確実に太くなりました。過去のデータで計測された▲1.1%という数字が今後も同じ水準にとどまるとは限らない。私たちはそう見ています。

相続・売却でこの論点が効く場面

路線価は水害リスクを個別に反映しない

相続税の申告で使う路線価は、その道路に接する標準的な宅地の価額を示すもので、浸水想定区域であることを理由とした個別の補正項目は設けられていません。地価公示価格の8割を目途に設定される性格上、リスクの一部は間接的に含まれているとも言えますが、隣り合う土地の地盤高の差や内水の実績までは拾いません。

遺産分割において路線価をそのまま分割基準に使うことの問題は、路線価だけで分けると損をするのは誰か|江戸川区の遺産分割で鑑定評価が効く3つの場面で整理したとおりです。水害リスクも、その延長線上にある論点の一つです。

想定されるケース:ハザードを理由に2割の減額を求められた

具体的に考えてみます。以下は特定の案件ではなく、ご相談の傾向をもとにした想定のケースです。

江戸川区内に、相続財産である住宅地が2筆あるとします。いずれも敷地100平方メートル、路線価ベースの評価額はほぼ同額の3,500万円。ただし一方は想定浸水深3メートル以上の区域、他方は1メートル未満の区域にあります。相続人の一方が「浸水深3メートルの土地は2割減で評価すべきだ」と主張しました。2割減とは700万円です。

ここで前述の推計値を当てはめると、浸水深の差2メートル分に対応する理論上の差は2.2%、金額にして約77万円です。主張された700万円との開きは600万円を超えます。一方で、もし一方が駅徒歩8分、他方が徒歩18分であれば、駅距離による差のほうがはるかに大きく、浸水深の議論は脇役になります。

この試算は公表された推計値を機械的に当てはめたもので、実際の評価額を示すものではありません。ただ、どの要因がどの程度の重みを持つのかを数字で並べるだけで、議論の焦点が正しい位置に移ることは珍しくありません。感覚で「2割」と言われた瞬間に反論できず合意してしまうより、はるかに健全な進み方だと考えます。

数字が必要な場面では、書面にする

協議や調停で水害リスクが論点になり、口頭の説明では折り合わない場合、根拠を書面にする方法があります。当事務所では、外部への提出を前提としない当事者間の検討であれば価格等調査報告書を、調停や訴訟、あるいは税務署への提出を見込む場合には鑑定評価書をご提案しています。どちらが必要かは提出先で決まります。この使い分けは価格等調査報告書と鑑定評価書の違いは提出先で決まるで解説しています。

なお、相続税の課税価格の算定や、評価方法が税額に与える影響については税理士にご確認ください。遺産分割協議の法的な進め方については弁護士にご確認ください。私たち鑑定士がお答えできるのは、その土地が市場でいくらと評価されるかという部分です。

まとめ

江戸川区のハザードマップが示す想定は確かに厳しいものですが、それが土地の交換価値を大きく毀損しているという事実は、公示地価からも公表されている推計からも確認できません。同時に、水害リスクが価格に翻訳される回路は、この5年で着実に整備されつつあります。この2つを同時に理解しておくことが、相続でも売却でも損をしない前提になります。

要点を振り返ります。

  • 江戸川区は区面積の7割がゼロメートル地帯で、大規模水害では最大10メートル以上、2週間以上の浸水が想定されている(水害ハザードマップ第2版、2025年7月公表)
  • それでも2026年地価公示で区の住宅地は5.7%上昇し、下落した標準地はない。区内の変動率の差を説明していたのは浸水深ではなく駅からの距離だった
  • 日本銀行ワーキングペーパー(No.22-J-10)の推計では、想定浸水深1メートルあたりの影響は住宅地▲1.1%、商業地▲4.7%で、住宅地の反応は鈍い
  • 市場が強く反応するのは地図の色ではなく実際の被災経験。江戸川区がほぼ全域で浸水したのは1947年のカスリーン台風で、いまの取引主体にとっては歴史になっている
  • 区内で差がつくのは大規模水害の想定ではなく、内水氾濫の局地的な想定と、同一地域内の地盤高の差。これは現地を見て初めて査定できる
  • 重要事項説明での水害ハザードマップ提示義務(2020年8月)と火災保険の水災料率5区分(2024年10月)により、リスクが価格に反映される回路は太くなっている

ハザードマップの色を理由に減額を求められている相続人の方、逆に「どうせ売れない」と諦めかけている地権者の方、依頼者の土地について水害リスクの主張に対応する必要のある弁護士・税理士の先生方。いずれの場面でも、感覚ではなく数字で語れるかどうかが結論を分けます。

江戸川区・城東エリアの不動産の評価でお悩みの方は、西葛西の鑑定士による初回無料相談をご利用ください。ハザードマップの想定と実際の市場価格の距離を、あなたの土地について具体的にご説明します。

TAGS#ハザードマップ#浸水想定区域#ゼロメートル地帯#江戸川区#土地価格
SHAREXLINE
RELATED ARTICLES

関連記事

横断歩道の手前から見た市街地再開発の工事現場。白い仮囲いの奥にタワークレーンと建設中の高層建物が見える
エリア・市場データ22分で読了

小岩の再開発は地価をどこまで押し上げたか|駅前は13年で1.9倍、1.4キロ先は1.3倍

小岩駅周辺の3つの市街地再開発と、地価公示の標準地14地点の13年間の推移を照合しました。駅前80メートルは1.9倍、駅から800メートル以内の住宅地は1.46倍、1.2キロ超は1.3倍。再開発の恩恵がどこまで及んだのかを西葛西の不動産鑑定士がデータで検証します。

朝の通勤時間帯、高架の鉄道駅へ向かう人々と駅前通りに並ぶ商店・駐輪した自転車
エリア・市場データ25分で読了

2026年地価公示、江戸川区の住宅地は5.7%上昇|西葛西・葛西・小岩の駅別温度差を読む

2026年(令和8年)地価公示で江戸川区の住宅地は5.7%上昇。区内89地点の標準地を最寄駅別・駅からの距離別に集計し、平井・船堀・西葛西と篠崎・葛西の温度差、駅から1,000メートルという分水嶺を西葛西の不動産鑑定士が読み解きます。

夕暮れの川沿いの土手道から見下ろす下町の住宅街。手前に錆びた手すりと枯れ草、瓦屋根の木造住宅が連なり、奥に川と中層マンション群
借地権・底地28分で読了

底地は誰に売るかで価格が3倍変わる|江戸川区の地主が選べる5つの出口と手取りの差

江戸川区の底地は、買取業者なら更地価格の1割、借地人へ売るなら4割から5割。地代からの収益還元と権利併合の価値という2層で価格を分解し、借地人への売却・同時売却・等価交換・業者買取という出口別の手取りを、180平方メートルの想定ケースで西葛西の不動産鑑定士が試算します。

FREE CONSULTATION

まずは無料でご相談ください

初回相談・お見積りは無料です。「鑑定が必要かどうか」からお気軽にご相談ください。

受付 平日9:00-18:00 / Zoom・電話・メール対応可

電話で相談無料相談を申込む