会社名義のままになっている平井の町工場を、社長個人に移しておきたい。あるいは逆に、役員個人が先代から持っていた船堀の倉庫を、会社に買い取らせたい。事業承継の準備や資産の組み替えの入り口で、こうしたご相談を区内の経営者の方、そして顧問税理士の先生方からいただきます。
そこで必ず問題になるのが売買価格です。相手は自分の会社ですから、いくらでも決められるように見えます。ところが税務の世界では、身内同士の取引こそ「時価」から離れた瞬間に否認の対象になります。帳簿価額をそのまま使って契約書を作り、数年後の税務調査で数千万円の差額を指摘される。そういう事故が実際に起きています。
工場や倉庫は、住宅やマンションと違って取引事例が乏しく、価格の出し方そのものが争点になりやすい資産です。本記事では、江戸川区の準工業地域に立つ町工場を想定し、私たち鑑定士が時価をどう組み立てるかを整理します。なお、課税上の取扱いは個別事情で結論が変わりますので、必ず税理士にご確認ください。
役員への売買で「時価」が問われる理由
会社から役員へ売る場合に起きること
会社が所有する工場を役員個人に安く売ると、税務上は時価で譲渡したものとして扱われます。法人税法22条2項が、資産の無償譲渡や低額譲渡であっても時価相当額を益金に算入すべきものとしているためです。会社には、実際に受け取っていない部分にも譲渡益が立ちます。
さらに時価との差額は、役員に対する経済的利益の供与、すなわち役員給与と評価されます。定期同額給与にも事前確定届出給与にも当たらないため、法人税法34条により会社側では損金に算入できず、役員側には給与所得として所得税・住民税がかかります。会社に課税され、役員にも課税されるという二重の負担が生じる構図です。
見落とされやすいのが消費税です。国税庁のタックスアンサーNo.6321は、法人が役員に対して著しく低い価額で資産を譲渡した場合、消費税の課税標準はその資産の時価とすると示しています。土地の譲渡は非課税ですが建物は課税対象ですから、建物の対価を低く置けば消費税の側からも引き直されます。
役員から会社へ売る場合に起きること
向きが逆になると、適用される条文も変わります。役員個人が所有する倉庫を会社に売るとき、対価が時価の2分の1に満たなければ、所得税法59条1項2号により時価で譲渡があったものとみなされます。手元に入っていない売却益に譲渡所得税が課される、いわゆるみなし譲渡です(2分の1という基準は所得税法施行令169条)。会社側では、時価と支払対価の差額が受贈益として益金に算入されます。
逆に時価より高い価格で会社が買い取れば、超過部分が役員への給与とみなされます。安すぎても高すぎても課税される、両側から挟まれた構造です。
「2分の1」は安全ラインではない
時価の2分の1以上なら大丈夫だ、という理解は危険です。2分の1は、所得税法59条のみなし譲渡が発動するかどうかの入口にすぎません。
同族会社との取引には、所得税法157条および法人税法132条の行為計算否認の規定が控えています。同族会社の行為または計算を容認すると税負担を不当に減少させる結果になると税務署長が認めるときは、それを引き直して課税できるという規定です。最高裁は、その「不当」かどうかを、経済的・実質的に見て純経済人の行為として不合理・不自然かどうかで判断する立場を採っています。目指すべきは2分の1を超えることではなく、「第三者との間でも成立したであろう価格だと後から説明できる状態」です。
江戸川区の工場・倉庫という土俵
平井・小松川、松江・船堀に残る住工混在
江戸川区は、23区の中でも中小のものづくりが根を張ってきた区です。区の産業情報によれば、金属製品製造業、生産用機械器具製造業、繊維工業、印刷・同関連業などが、平井・小松川、松江・東小松川・船堀の各地域を中心に集積してきました。荒川と旧中川に挟まれた区の西側、そして新中川沿いに、今も小規模な工場と倉庫が住宅と混在して残っています。
この住工混在という性格が、評価の難しさに直結します。隣が住宅であれば、騒音・振動・大型車の出入りへの制約が現実の減価要因になる。一方で、住宅地としての需要が土地の価値を押し上げてもいる。相反する二つの力が、同じ一つの土地に働いているのです。
準工業地域は「住宅が建てられる工業地」
準工業地域は、都市計画法9条13項により「主として環境の悪化をもたらすおそれのない工業の利便を増進するため定める地域」と定義されています。名前に「工業」と付いていますが、建築基準法上は住宅も共同住宅も店舗も建てられ、建てられないのは危険性の大きい一定の工場に限られます。
これが工業専用地域との決定的な違いです。工業専用地域では住宅が建てられず、土地の需要は工業用途に閉じます。ところが準工業地域では、マンション業者も戸建分譲業者も買い手として同じ土俵に立ちます。区内には住工混在の環境を守るため特別工業地区が重ねて指定された区域もありますが、住宅需要が価格形成に強く効く構図は変わりません。
工業地の地価も上がっている
2026年(令和8年)地価公示において、江戸川区の工業地の対前年平均変動率はプラス7.8パーセントでした。住宅地の5.7パーセント、全用途の6.3パーセントを上回っています(東京都財務局「令和8年地価公示価格(東京都分)の概要」)。区内の地価の動きは2026年地価公示、江戸川区の住宅地は5.7%上昇で駅別に整理しています。取得当時の帳簿価額が据え置かれている工場ほど時価との乖離は大きく、簿価を根拠に価格を決める危うさは明らかです。
価格を決めるのは最有効使用の判定
工場として使い続ける前提か、更地として見るか
不動産鑑定評価基準は、不動産の価格はその最有効使用を前提として把握される価格を標準として形成されるという「最有効使用の原則」を基本に置いています。工場・倉庫の評価で最初に決めるべきは、最有効使用が「工場としての継続使用」なのか「建物を取り壊したうえでの住宅用地としての利用」なのかという判定です。
判定を分けるのは、建物の残存耐用年数、稼働状況、取壊費用、周辺の住宅需要の強さです。築50年の木造倉庫が駅徒歩8分の準工業地域に建っていれば、最有効使用は更地としての住宅用地である可能性が高い。一方、10年前の鉄骨造工場が稼働中で周囲にも工場が残る区域なら、工場としての継続使用と判断されます。
建物が土地の価値を削ることもある
最有効使用が更地としての利用だと判定された場合、建物は価値を持たないどころかマイナスの評価になります。取り壊す費用がかかるからです。鉄骨造の工場なら解体費は1平方メートル当たり2万円から4万円程度を見込むことが多く、アスベストの含有が確認されれば調査・除去の費用が上乗せされます。鑑定評価では、更地としての価格からこの取壊費用相当額を控除します。帳簿に建物の残存価額が残っていても、それは時価とは無関係です。
原価法と収益還元を並べて試算する
想定ケース:敷地300平方メートルの鉄骨造工場
具体的な数字を置きます。以下は説明のための想定であり、個別物件の評価額を示すものではありません。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 土地 | 300平方メートル、間口12メートル、前面道路幅員6メートル |
| 建物 | 鉄骨造平屋建工場、延べ200平方メートル、築30年 |
| 利用 | 自社工場として稼働中、最有効使用は工場としての継続使用 |
| 土地単価 | 更地価格1平方メートル当たり40万円と想定 |
積算価格と収益価格を出す
まず原価法(Cost Approach。対象不動産の再調達に要する原価に減価修正を加えて価格を求める手法)です。土地は300平方メートルに1平方メートル当たり40万円を乗じて1億2,000万円。建物は再調達原価を1平方メートル当たり18万円として3,600万円と置きます。経済的耐用年数40年に対し築後30年で残存10年ですから、定額法の考え方では残価率が4分の1、すなわち900万円。積算価格は合計1億2,900万円です。
次に、同じ不動産を賃貸したらいくらの収益を生むかを見ます。収益還元法(対象不動産が将来生み出すと期待される純収益を還元利回りで還元して価格を求める手法)です。
| 項目 | 金額 |
|---|---|
| 年間賃料収入(月26万円) | 312万円 |
| 空室等による損失(5パーセント) | 16万円 |
| 運営費用(固都税・修繕・保険) | 85万円 |
| 純収益 | 211万円 |
純収益211万円を還元利回り5.5パーセントで還元すると、収益価格は約3,840万円です。
3倍の開きをどう読むか
積算価格1億2,900万円に対し、収益価格は約3,840万円。3倍を超える開きです。これは計算の誤りではなく、この不動産が置かれた市場の性格を映しています。準工業地域の土地が住宅需要によって高値を形成している一方、その土地で営まれる工場賃貸業の採算はそこまで届かない。この土地は「工場を貸して稼ぐ場所」ではなく「いずれ住宅が建つ場所」として値付けされている、ということです。
ではどちらを採るのか。不動産鑑定評価基準は、自用の建物及びその敷地の鑑定評価額について、積算価格、比準価格および収益価格を関連づけて決定するものとしています。自ら使用している事業用不動産では収益価格の説得力が限定的になりますから、実務では積算価格に重きを置き、収益価格は市場性の検証材料として扱うのが一般的です。
ここで断言します。収益還元法だけで出した3,840万円を根拠に役員へ売却すれば、9,000万円を超える差額が役員賞与と認定されるおそれがあります。手法の選び方と重み付けを説明できるかどうかが分かれ目です。
時価を「使える形」にしておく
土地と建物の内訳が税務を左右する
売買契約書に総額しか書かれていない、あるいは内訳が根拠なく決められている。事業用不動産の売買で、これは避けたい状態です。土地の譲渡は消費税が非課税、建物の譲渡は課税ですから、内訳の置き方で納税額が動きます。買主側では建物の取得価額がその後の減価償却費を決め、売却時の譲渡益にも跳ね返ります。鑑定評価は土地と建物それぞれの価格を積み上げますから、内訳がそのまま根拠資料になります。具体的な設計は税務判断を伴いますので、税理士にご確認ください。
価格等調査報告書で足りる場面
売買を実行するかどうかをまだ検討している段階、役員との間で価格のたたき台を作る段階であれば、価格等調査報告書で足りることが多くあります。鑑定評価基準に則らない調査であることを明示したうえで、査定の過程と根拠を文書に残すもので、費用と期間を抑えられます。こうした調査をいわゆる「簡易鑑定」と呼ぶ習慣が一部に残っていますが、鑑定評価書とは性格の異なる成果物ですから、当事務所では名称を区別します。両者の違いはいわゆる簡易鑑定と価格等調査報告書の違いでご説明しています。
鑑定評価書が要る場面
実際に売買を実行し、その価格を税務上の時価として説明する必要がある場面では、鑑定評価書をお勧めします。国土交通大臣または都道府県知事の登録を受けた不動産鑑定業者が、不動産の鑑定評価に関する法律に基づいて発行する文書であり、評価基準への準拠、価格時点、依頼目的、評価の過程が明示されます。
税務調査の場で「なぜこの価格にしたのか」と問われたとき、答えるべきは経営者ではなく書面です。価格時点を売買契約日に合わせ、売買の前に取得しておくことをお勧めします。法人・事業用不動産の評価もあわせてご覧ください。
まとめ
役員との不動産売買で問われる「時価」は、帳簿価額でも固定資産税評価額でもありません。第三者との間でも成立したであろう価格を、手法の選択まで含めて説明できる状態にしておくことです。
要点を振り返ります。
- 会社から役員への低額譲渡は、法人税法22条2項により時価で譲渡したものとされ、差額は役員給与として損金不算入になる。消費税も建物部分が時価で引き直される
- 役員から会社への譲渡が時価の2分の1未満なら所得税法59条1項2号のみなし譲渡。2分の1を超えても所得税法157条・法人税法132条の行為計算否認の射程は残る
- 準工業地域は住宅も建てられるため、工場・倉庫の土地価格は住宅需要に引き上げられる。2026年地価公示で江戸川区の工業地はプラス7.8パーセント
- 敷地300平方メートル・築30年の工場という想定では、積算価格1億2,900万円に対し収益価格は約3,840万円。自用の事業用不動産では積算価格に重きを置くのが一般的
- 土地と建物の内訳は消費税と減価償却に直結する。総額だけの査定では根拠資料にならない
区内で事業承継や資産の組み替えを検討されている経営者の方、関与先の役員間売買で時価の説明資料に不安をお持ちの税理士の先生方。契約書を作る前に価格の根拠を第三者の目で固めておく価値は大きいと断言します。
江戸川区・城東エリアの工場・倉庫など事業用不動産の評価でお悩みの方は、西葛西の鑑定士による初回無料相談をご利用ください。所在地・用途地域・建物の概要と、売買の向き(会社から役員か、役員から会社か)をお知らせいただければ、価格等調査報告書で足りるのか鑑定評価書が要るのかというところからご説明します。


