遺産分割調停の期日で、相手方の代理人から不動産会社の査定書が提出された。表紙には「査定価格4,200万円」と印字されている。ご自分の感覚ではもっと高いはずなのに、紙になった数字を前にすると、どう言い返せばよいのか分からない。江戸川区で実家や自宅マンションの分け方を争っておられる方にとって、決して珍しい場面ではありません。
結論から申し上げます。査定書は、それ自体が価額を決める力を持つ資料ではありません。調停で不動産の価額がどのように決まるのかという仕組みを理解すれば、対抗の手順は見えてきます。ただし、やみくもに「安すぎる」と主張しても調停委員は動きません。必要なのは、相手方の査定書のどこに争点があるのかを特定し、それに対応する資料を、適切なタイミングで出すことです。
私たち鑑定士は、調停や審判に提出することを前提とした評価と、売却のための価格査定とを、まったく別の作業として区別しています。本記事では、調停で価額が決まる仕組み、査定書と鑑定評価書の位置づけの違い、相手方の査定書を読み解く着眼点、そして私的鑑定(当事者の一方が自ら費用を負担して依頼する鑑定評価)を出すタイミングを、江戸川区の実情に即して整理します。なお、手続の進め方など個別の方針は弁護士に、税務の取扱いは税理士にご確認ください。
調停で不動産の価額はどう決まるのか
原則は相続人全員の合意
遺産分割調停において、不動産の価額は、まず相続人全員の合意によって決まります。相続人の間で「この土地は4,500万円として分けよう」という合意ができれば、その金額が分割の基礎となり、裁判所が独自に価額を認定することはありません。
東京家庭裁判所の遺産分割調停では、相続人の範囲、遺産の範囲、遺産の評価、各相続人の取得額と分割方法という順で、段階ごとに合意を積み上げていく進め方が採られています。つまり「評価」は、独立した争点として正面から扱われる段階があるということです。ここで安易に相手方の数字を受け入れると、後の段階で取り返すことはできません。
合意できなければ裁判所の鑑定に進む
合意ができない場合、次の段階が裁判所による鑑定です。手順としては、当事者から鑑定の申出を行い、鑑定人候補者から鑑定料の見積りを取り、当事者が鑑定料を裁判所に予納し、その確認を経て鑑定人が選任され、宣誓のうえ鑑定書が提出される、という流れになります。
ここで押さえておきたいのは、鑑定料の予納がなければ鑑定人は選任されないという点です。「裁判所が勝手に鑑定してくれる」わけではありません。費用は最終的に相続人が法定相続分に応じて負担する扱いとなることが多く、対象不動産が複数あれば、その分だけ費用も積み上がります。
江戸川区の相続人が申し立てる先
遺産分割調停は、相手方の住所地を管轄する家庭裁判所、または当事者が合意で定める家庭裁判所に申し立てます(家事事件手続法245条1項)。相手方が江戸川区にお住まいであれば、東京家庭裁判所の本庁(千代田区霞が関)が管轄です。立川支部が管轄するのは多摩地域ですので、23区内の事件は本庁で扱われます。
なお、家事審判の手続における証拠調べには、民事訴訟法の証拠に関する規定が準用されます(家事事件手続法64条1項)。鑑定人による鑑定は、この証拠調べの一類型です。一方、当事者が自ら依頼して作成させた鑑定評価書は、証拠調べとしての「鑑定」ではなく書証として扱われます。この違いが、次にご説明する話につながります。
査定書と鑑定評価書は何が違うのか
査定書は「売れそうな価格」についての意見
不動産会社が作成する査定書は、媒介契約を結ぶにあたって示される、売出価格の参考となる意見です。宅地建物取引業法34条の2第2項は、宅地建物取引業者が売買すべき価額について意見を述べるときはその根拠を明らかにしなければならないと定めていますが、求められているのは根拠の明示であって、特定の評価手法に従うことではありません。
査定は無償で行われるのが通例で、作成者が結果について責任を負う仕組みもありません。そして何より、依頼した側の意向が反映されやすい構造にあります。査定額が会社によって開く理由は、査定額が3社でバラバラなのはなぜかで要因ごとに分解しています。
鑑定評価書は法律と基準に基づく評価
これに対して不動産鑑定評価書は、不動産の鑑定評価に関する法律に基づき、国家資格者である不動産鑑定士が、国土交通省の定める不動産鑑定評価基準に従って作成する書面です。同法36条1項は、不動産鑑定士でない者が不動産鑑定業者の業務に関して不動産の鑑定評価を行うことを禁じています。
鑑定評価書には、価格時点(いつの時点の価格として求めたかという基準日)、求める価格の種類、採用した手法とその適用過程、採用した取引事例と補正の内容を記載することが求められます。第三者が数字の成り立ちを追跡でき、反論する側もどの前提を争えばよいかを特定できる。調停の場で議論の土俵に乗るのは、この追跡可能性があるからだと断言します。
3種類の資料の位置づけ
実務で目にする資料は、おおむね次の3種類に整理できます。
| 資料 | 作成者と根拠 | 調停での使われ方 |
|---|---|---|
| 査定書 | 宅建業者の意見(宅建業法34条の2第2項) | 相場観の共有。争いがあると決め手にならない |
| 価格等調査報告書 | 鑑定士が調査範囲を限定して作成 | 協議段階の交渉材料。提出先の要件確認が必要 |
| 鑑定評価書 | 鑑定士が鑑定評価基準に従い作成 | 書証として提出可能。審判でも評価資料になる |
価格等調査報告書(鑑定評価基準に則らず、調査範囲や採用手法を限定して作成する報告書)は、費用と期間を抑えられる一方で、提出先によっては受け付けられません。名称と中身の関係は価格等調査報告書と鑑定評価書の違いで整理しています。調停・審判で価額そのものを争うのであれば、最初から鑑定評価書を選ぶべきです。
相手方の査定書はここを読む
価格時点と、成約か売出か
まず確認していただきたいのが、いつの時点の価格なのかという点です。半年前に作られた査定書が、そのまま期日に提出されることがあります。遺産分割で用いる価額は分割時点の時価ですから、時点がずれていれば、それだけで前提が違うことになります。
江戸川区の住宅地は上昇が続いている局面です。東京都財務局が公表した2026年(令和8年)地価公示によれば、江戸川区の住宅地の対前年平均変動率はプラス5.7パーセント、商業地はプラス8.7パーセントでした。単純に均せば、半年の時点差でも3パーセント前後の開きが生じうる計算になります。4,200万円の物件であれば、120万円以上の差です。
次に、査定書が挙げる「周辺事例」が成約価格なのか売出価格なのかを確認します。売出価格は売主の希望にすぎず、成約価格とは異なります。安い売出事例だけを並べれば、結論はいくらでも下げられるのです。国土交通省の不動産情報ライブラリでは成約価格ベースの取引価格情報が公表されていますので、相手方が挙げた事例の水準と突き合わせることができます。
江戸川区特有の増減価要因が織り込まれているか
江戸川区は、同じ「江戸川区の戸建」でも条件差が大きい地域です。葛西・西葛西のように土地区画整理事業を経て街区が整った地域と、小岩・平井・松江のように旧来の街割りが残り、狭小地・不整形地・幅員4メートル未満の道路が混在する地域とでは、同じ面積でも市場の評価は変わります。区の陸地の約7割が満潮時の水面より低い、いわゆる海抜ゼロメートル地帯であることも、区自身が公表している事実です(江戸川区「江戸川区の地形」)。
査定書がこうした要因を「考慮済み」とだけ書いて内訳を示していない場合、それは検証できない主張です。どの要因をいくらの増減価として扱ったのか、調停の場で説明を求めることには意味があります。説明できないのであれば、その数字に依拠して価額を決めることの当否が問われるはずです。
建物と土地のどちらの前提が動いているか
土地建物一体の査定では、建物をゼロ評価にしたうえで土地の価格から解体費相当額を控除する扱いがしばしば見られます。しかし築25年の木造住宅でも、住み続けられる状態であれば市場で値が付くことはあります。逆に、再建築に制約のある敷地では、建物ではなく土地の評価そのものが大きく下がります。どちらの前提が結論を押し下げているのかを切り分けることが、反論の出発点です。両方をまとめて「安い」と言っても、議論は進みません。
私的鑑定をいつ、どう出すか
裁判所鑑定に進む前に出す意味
裁判所鑑定は中立性が高い一方で、時間と費用がかかり、結果が出るまで手続が実質的に止まります。予納金を納めても、自分の主張に沿った結果が出るとは限りません。
これに対して私的鑑定は、自分の費用と判断で、任意のタイミングで提出できます。効用は2つあります。ひとつは、相手方の査定書に対して検証可能な資料を並べることで、「査定書1通だけで価額を決める」流れを止められること。もうひとつは、双方の主張額の差が縮まって合意に至れば、裁判所鑑定そのものが不要になることです。
想定されるケース|西葛西のマンションで350万円の差
具体的な数字で考えます。西葛西駅から徒歩10分、専有面積70平方メートル、築18年のファミリー向けマンションを、相続人2名(法定相続分は各2分の1)で分ける場面を想定します。長男が現物を取得し、次男に代償金を支払う前提です。
| 項目 | 相手方提出の査定書 | 鑑定評価書 |
|---|---|---|
| 価額 | 4,200万円 | 4,900万円 |
| 代償金 | 2,100万円 | 2,450万円 |
差は価額で700万円、次男が受け取る代償金では350万円です。マンションの鑑定評価に要する費用を仮に30万円とすれば、争う実益は十分にあります。
一方、双方の見立ての差が100万円にとどまる見込みであれば、代償金の改善は50万円です。鑑定費用と期日が重なる負担を考えると、合理的とは言えません。私的鑑定を出すかどうかは、「見込まれる差額 × 自分の取り分の割合」と「費用」の比較で決めてください。感情ではなく金額で判断すべき場面です。
出すときの3つの留意点
第一に、依頼者が一方当事者であることは鑑定評価書の記載から明らかになります。隠す必要はありませんし、隠せません。鑑定評価書は依頼目的と依頼者を明示して作成する書面だからです。だからこそ、中身が基準に従っているかどうかで評価されます。依頼者の希望額に合わせて数字を作れば手法の適用過程に無理が生じ、かえって信用を失います。この点を曖昧にする鑑定士には依頼しないでください。
第二に、価格時点を手続の進行に合わせることです。遺産分割における不動産の価額は分割時点で判断されますから、申立て時点ではなく、合意が見込まれる時期に近い時点を価格時点とするのが自然です。相続開始時点を基準とする遺留分侵害額の算定とは前提が異なります。どの時点を採るかは代理人弁護士とご相談ください。
第三に、相手方の査定書への反論は鑑定評価書とは別に整理することです。鑑定評価書は自らの主張する価額を論証する書面であって、相手方の資料を批判するための書面ではありません。査定書の問題点は主張書面の中で指摘するのが筋であり、この切り分けは代理人弁護士の領域です。方針は必ず弁護士にご確認ください。
費用と時間をどう見立てるか
誰がいくら負担するのか
私的鑑定の費用は、依頼した当事者本人の負担です。裁判所鑑定の予納金は、申出をした当事者がいったん納め、最終的には相続人が法定相続分に応じて負担する扱いとなることが多いとされています。いずれも遺産から当然に支出できるものではなく、手元資金から出す前提で計画を立てる必要があります。
当事務所では、江戸川区内の区分マンションや一般的な戸建であれば、鑑定評価書の作成に2週間から3週間程度をいただいています。次回期日での提出をお考えであれば、期日の1か月前にはご相談いただくのが安全です。
段階に応じて資料を使い分ける
まだ協議の段階で決定的な対立がないのであれば、価格等調査報告書で相場観を共有し、合意を目指すほうが早く安く済みます。すでに調停が始まり価額が明示的な争点になっているのであれば、鑑定評価書を選んでください。費用の安い報告書を先に選び、後から鑑定評価書を作り直すことになれば、二重に費用を払う結果になります。
なお、相続税申告における不動産の評価方法や、代償金を支払った場合の課税上の取扱いは個別事情で結論が変わります。必ず税理士にご確認ください。
まとめ
査定書は価額を決める資料ではなく、鑑定評価書は基準に従って作られた検証可能な資料です。この違いを理解したうえで、争う実益があるかどうかを金額で判断することが、遺産分割調停で価額を守る最短の道です。
要点を振り返ります。
- 調停における不動産の価額は、まず相続人全員の合意で決まり、合意できなければ裁判所の鑑定に進む
- 裁判所鑑定は鑑定料の予納がなければ始まらず、費用は法定相続分に応じた負担となることが多い
- 査定書は宅建業法34条の2第2項に基づく意見であり、鑑定評価書は不動産鑑定評価基準に従った評価である(不動産の鑑定評価に関する法律36条1項)
- 相手方の査定書は、価格時点、事例が成約か売出か、江戸川区特有の増減価要因、土地と建物のどちらの前提が動いているか、の4点を確認する
- 私的鑑定を出すかどうかは、「見込まれる差額 × 自分の取り分の割合」と費用を比較して決める
すでに調停が始まり相手方の査定書への対応に困っておられる相続人の方、依頼者のために対抗資料の要否を検討されている弁護士の先生、そして調停に進む前に価額の見当をつけておきたいご家族。いずれの場面でも、どの資料をどの順番で出すかが結果を左右します。
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